明星 |
中国語で芸能人の、特にスターのことを"明星"と書く。 普通話では「ミンシン」広東語では「めんせん」と読む。 ある日のこと。連れとマッタリしていたときふと言ってみた。 「子供が生まれたら歌手にしようよ」 私は歌好きでカラオケ好き、相手はカラオケは嫌いだけど日常よく歌っている鼻歌シンガーなのだ。 軽く流してくれると思っていたのに、こう言われた。 「ええっ、そんなのかわいそうだよ」 かわいそう?歌手ってかわいそうなの? 好きなことを仕事にして、ひとにキャーキャー言われて、綺麗な服着てヘアスタイルもメイクもいろいろ変えれて素敵じゃない。 「だって、買い物にも自由に行けないし、デートだってできないでしょう」 それはそうかも。確かに有名人になれば不自由なことも多いだろうし、一般人にははかりしれない苦労もあるよね、なんてことを考えてて阿妹のことを連想した。 香港で人気が出始めた頃、【壱周刊】という雑誌が「阿妹に隠し子が!」というような報道をしたことがあった。もちろんそれは大嘘で、お兄さんの子供の面倒を見ているところを写真に撮られたのだけど、雑誌が出る前に実家のお母さんにまで取材をして否定してるにもかかわらず報道され、お母さんはいたく傷ついたそうだ。 そういう意味ではスターの親というのも大変なのだ。特に中華マスコミはえげつない。自分がその立場だったら・・・と思うと、こんなに血の気が多い私にはきっと務まらないだろうな。 阿妹が"外出恐怖症"だってことを告白したのは、アルバム『不顧一切』発表後の雑誌ELLE台湾版(2000年12月号)のインタビューだったと思う。それ以前も何度か「家に閉じこもってるらしい」という話は聞いたことがあったが、「そんなばかな」と信じていなかった。あの明るくて元気いっぱいの彼女が?そんなわけないよ、と。 彼女はもともと田舎の子だ。静かな村で暮らしていた、ただの歌好きの女の子だった。 阿妹はよく「自分はラッキーだ」という。きっと病床のお父さんを喜ばせたい一心でコンテストに出て、その過程の中で人前で歌うのがどんどん楽しくなったんだろけど、それでも自分がこんな地位にまで登りつめ"台湾の光"とまで言われるようになるとは、思いもよらなかっただろう。 たしか『牽手』発売時に出演したテレビ番組で、司会のデヴィット・ウーが「街で阿妹を見かけたから『お〜い!阿妹!』って呼んだら、周りの人が気づいちゃって大勢集まってしまって大変だった」と言っていたが、毎回お出かけするたびに人に気づかれないようにするのは大変だろうな。悪いことしてるわけではないのに、コソコソしなければいけないなんて出かけるのも嫌になるだろう。そして気づかれたら日本と違って放っといてくれなさそうな雰囲気だもの、間違いなくモミクチャになるだろう。 デビューして以降、そんなことの繰り返しできっと辛かったろうな。あんなに元気を振りまいてる彼女がそんな思いをしていただなんて知らなかったから、飛行機の中でELLEのインタビューを読んだときは隣に座ってる人にビックリされるくらい泣いたっけ。 そんなことがあっても表面的には本当に明るくて、歌を聴くと元気が出る。そして彼女自身も明星としての地位に恥じないよう社会に貢献し、多くの若者の規範となろうと努力している。 明るい星であるということは重い運命なのかもしれない。 あるいは周囲の闇が濃ければ濃いほど、星は光り輝くのかな。 そんなことを考えた2003年4月だった。 レスリー・チャン氏のご冥福を心よりお祈りします。 2003年4月30日 |
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