台湾原住民

アーメイ(張惠妹)が原住民出身であるということは、みなさんご存知のとおり。
さて台湾原住民とはなにか?
正直日本に住んでいる私たちにはわかりにくい。私も最初はよくわからなかった。
しかし知れば知るほど面白く、なおかつ深刻な問題を含んでいるといえる。
そんな彼らのことを皆さんにも知って欲しい。

台湾原住民 呼び名 十二部族 ピヌユマヤン 原住民出身の芸能人 原住民の現在

台湾原住民
台湾原住民は台湾全人口のわずか2%。(2005年4月末現在、全人口約2271万人。原住民人口約46万人)
一般的には漢民族が台湾に渡ってくる以前、数万年前に台湾に住み着いた南洋民族とされている。
大まかな分類として十二部族あるとされているが、あくまでも分類上のもので実際は使用言語の違いや伝承、生活習慣の違いなどから、より細分化される。
山岳部に住む部族以外にも平甫族(へいほぞく)といわれる平地に住み、早い時期から漢民族と交流・融合していった民族もいる。
台湾には昔から対岸の福建省より移り住む人々が多くいたが、それ以前から台湾(もちろん当時はこの名称で呼ばれてはいない)に住んでいた原住民族と漢民族は、ときに衝突を起こしながら同じ島に住んでいた。

日本でも有名な"国姓爺(こくせんや)"こと鄭成功(ていせいこう)が住みつき、清国への抵抗基地としたことから 清国が侵攻し領土としたとき、平地に住み彼ら漢民族と同化していった者たちを"熟蛮"、山に住み彼らとの交流を拒んだものたちを"生蛮"と呼びわけた。
この"熟"とは「文明化された」という意味を有し、"生"とは「野性的な」という意味が含まれている。
現在原住民の多くは台湾東海岸及び山岳地帯に住んでおり、清国の積極的な植民政策により原住民は次第に東側へ移り住まざるをえなかったのではないかという分析もあるが、南洋のマレーシアあたりからもともと東側に多くたどり着いたのではないかという説もあり、この論争に決着はついていない。
しかしながら大陸に近い地域に住んでいた西海岸側の平甫族の文化と言葉は"漢化"されたために現在ほぼ消滅状態。また世界の多くの少数民族と同じく、原住民独自の文化・風習・言葉も風前のともしびと言われている。
なお日本が統治していた時代には"高砂族(たかさごぞく)"と呼ばれたので、その名称をご存知の方もいると思う。
 
呼び名
現在は主に"原住民(yuan2zhu4min2/ユェンジューミン)"或いは"原住民族(yuan2zhu4min2zu2/ユェンジューミンズー)"と呼ばれる。
"先住民"では「いなくなった/すでに滅びた」という意味が含まれるので(ex 先祖/先代)、今も存在している彼らにしてはあまり好ましい呼ばれ方ではないのだ。
"原住民"の"原"には「最初の」「元々の」という意味が含まれるので、「元から台湾に住んでいた」彼らにとって相応しい名前といえるだろう。
しかし彼らが公式にこの呼び名を勝ち取るまでには、長い時間がかかった。
彼らは彼らが望む名前ではなく、施政者の好きなように呼ばれていたのだ。日本の植民地時代に日本人が皇族訪台の折に"蛮族"と呼ぶのは気が引けるということでつけた"高砂族(たかさごぞく)"が日本ではよく知られているが、台湾では長い間"高山族(ガオシャンズー)"や"山地人(サンディーレン)"と呼ばれていた。その後政治的な意味で"山地同胞(山胞)"などという言い方を広めた時期もある。
いわゆる「両岸問題」についてご存知の方は多いと思うが、80年代に萌芽し90年代に盛んになった台湾の本土化運動が奇しくも彼ら原住民族に自らのアイデンティティを確認する行動を取らせるきっかけとなったことは、台湾の政府も思い及ばなかっただろう。
名称や戸籍、委員会の設置など台湾政府が大陸と違った独自路線で台湾の原住民族を治めていくことに舵を切った90年代半ばのこと。
しかしながら今日でも差別的な名称で呼ぶ人も少なくない。
 
十二部族
皮肉なことに台湾原住民の研究・分類を推し進めたのは、1895年から1945年まで約50年間の長きにわたり台湾を植民地支配してきた日本人の学者(主に台北帝国大学土俗人種学研究室 ※当時の名称です)である。

現在では使っている言語・生活習慣などの違いから、この枠に収まりきれないとの異論が原住民サイドおよび学者から多く出ているが参考までに紹介する。
以前は"九族"とされていたが、2002年10番目の民族としてサオ・ツァオ(Thao/倦ー)が認証され、2004年にはクヴァラン(噶瑪蘭族)とタロコ(太魯閣族)が認証された。表記については台湾政府行政院原住民委員会のサイトを参考にし、日本語表記を付け加えた。

人口統計は2005年(民国94年)7月付けの資料より
原住民総人口 約46万人
  1. アミ・アミス(Ami/阿美族)
    北部の平原から台東まで、東海岸の広い地域に分布
    16万人  一番多い
  2. タイヤル・アタヤ(Ataya/泰雅族)
    台中、埔里、花蓮より北の山岳地区、台中、南投、苗栗、新竹、桃園、台北、宜蘭、花蓮など。
    人口約9万人  阿美族の次に多い。
  3. パイワン(Paiwan/排灣族)
    屏東県の八つの山地郷、および台東の大武・太麻里一帯に住む
    約8万人  勇猛で知られる
  4. ブヌン(Bunun/布農)
    台湾の中央山脈の両側、海抜1000〜2000メートルの場所に住む典型的な高山族
    約5万人
  5. ルカイ(Rukai/魯凱)
    台東県卑南郷、屏東県霧台郷、高雄県茂林郷などに住む
    約1万1千人
  6. ピヌユマヤン・プユマ・ピュマ(Puyuma/卑南族)
    台東の平原、卑南郷に住む
    約1万人
  7. サイシャット(Saisiat/塞夏族)
    新竹県と苗栗県の交わる山岳部に住む
    6千人
  8. ツォウ(Tsoa/鄒族)
    嘉義県阿里山郷、一部は南投県信義郷に住む
    6千人
  9. タウ(Tawu/達悟族)旧称ヤミ(Yami/雅美族)
    東海岸に位置する小島、蘭嶼島に住む
    4千人  一般的にはヤミ族として知られているが彼らの言葉ではタウ族
  10. サオ・ツァオ(Thao/倦ー)
    ほとんどが日月潭付近に住んでいる
    600人
  11. クヴァラン(噶瑪蘭族)
    900人
  12. タロコ(太魯閣族)
    9千人
  13. その他
    6万5千人
 
ピヌユマヤン
漢字では卑南族(北京語読みではベイナンズー)と表記され、日本では主にプユマ族・ピュマ族と表記されることが多い。
近年「プユマ」という呼び名も日本では一般的になってきたが、これは南王村のピヌユマヤン語の名称で「プユマ」と言うと南王村及びその住民のみを指す。広義の部族としてはピヌユマヤン(Pinuyumayan)あるいはプヌユマヤン(Punuyumayan)という名称を使う。
ちなみに「ピュマ族」という名称も特に誤りではなく、檳榔村あたりでは自らの民族を「ピューマ」と称する。
ピヌユマヤンは主に台湾東部、東海岸の台東県に居住しており、人口は約一万人。これは台湾少数民族の中でも少ない部族といえる。

彼らは主に台湾の東海岸に位置する台東県卑南郷(およびその周辺)に住み、別名「八社藩」とも呼ばれ、集落は八社十村落のみ。 文化的特徴は母系社会、階級制度(会所制度)、シャーマンの儀式などが挙げられる。
ピヌユマヤンは"石生系"と"竹生系"に分かれる。
これはそれぞれの発祥伝説の違いによるものである。
一つは石から生まれたとされる知本系列、発祥地はRuvoahanで、知本、建和、利嘉、初鹿、 泰安を含む。
もう一つは竹から生まれたとされる南王系列、発祥地はPanapanayanで、南王、檳榔、寶桑。
原住民出身の芸能人
日本で安室奈美恵が『沖縄ブーム』を起こしていたころとときを同じくして、台湾ではアーメイ(張惠妹)が『原住民ブーム』を起こしていた。
それまで台湾の多数派である漢民族には受け入れられないのではないか?という先入観が多くのレコード会社にあり、成功が難しいと思われていた原住民出身の歌手、が出自を明らかにした上でポップス市場に一大センセーションを巻き起こしたのだ。
しかも受けやすいバラード(情歌)のみならず、原住民的要素を前面に押し出した楽曲「姐妹」でも受け入れられ、それ以降原住民であることが一種のアピールポイントとなった。
>> 原住民歌手紹介
 
原住民族の現在
台湾の原住民族にとって、抱える問題は数多く、また根深い。
かつては原住民への差別も根深く、就職の際などに差別されるような事もあったそうだ。
適切な表現であるかどうか自信はないが、日本における在日韓国・朝鮮人の方々の状況と似ていると説明するのが分かりやすいと思う。
だがアーメイなど少数民族出身の歌手の出現、高い人気は多くの人々の認識を改めさせた。

アーメイもインタビューで語っている。
「原住民族に対して働かないとか、お酒ばっかり飲んでるとか誤ったイメージがあるのです。それを変えていきたい。」

しかしまだまだ偏見の眼で見る人々も多く、それらは台湾社会の今後の課題である。

現在の切実な課題は母語といわれる彼ら独自の言葉を守り、風俗習慣を守る事。
原住民独特の言葉を若い世代の人々は、喋ることが出来ずなかには聞き取ることさえもできない人もいるというのが現状である。学校でも國語(標準中国語)教育を行っているため、母語を教える機会がなく、なおかつ教育の為の理論体系も確立されておらず教師もいないため教える事が非常に困難である。
また風俗習慣についても、祖先が文字を持たなかったために彼らには文献も残されていない。また若い世代は都会に出るものが多くなり、なおさらその保存・維持が難しい。

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資料にあたって執筆いたしましたが、素人の文章なのでなにか間違いや気になる点があれば、
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